現在2軍調整中の飯塚悟史選手ですが、実は無限の可能性をまだ秘めています

今期監督に就任したばかりのアレックス・ラミレス監督も一目置く、来期注目の投手です。

同じ新潟県ということもあり、また日本文理高等学校として甲子園に出場した時から応援している私としても嬉しいので、飯塚悟史選手について書いていこうと思います。

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飯塚悟史選手のプロ入り前はエースで4番?

飯塚悟史

飯塚悟史選手は1996年10月11日に新潟県上越市に生まれました。小学生時代から2歳上の兄の影響で野球に出会い、直江津ガンバーズというチームで投手として活躍します。

ちなみに、この直江津ガンバーズという少年野球チームは現在も健在で、キチンとしたホームページもありました(笑)少年たちが白球に向かいひらすら走っている姿はほほえましいです。

少々脱線しましたが、中学生時代には軟式野球部に所属し3年次には軟式野球の全国大会Kボールの新潟県選抜として選ばれ、エースとして出場しチームを準優勝に導きました。

高校は中学生時代バッテリーを組んでいた女房役の鎌倉航選手と共に、甲子園出場校である強豪、日本文理高等学校の門をたたきます。

野球部では、後の恩師となる大井道夫監督の元練習に励んでいく過程で体格も現在の188cmの長身となり、練習により引き締まった筋肉と長身がうまくく噛み合い、ストレートにも伸びが出てきて、変化球のキレも増してきました。

高校2年次には明治神宮野球大会でなんと投手でありながら、恵まれた体型を活かすような3ホームラン(内1つはバックスクリーン超え)を放つなどし、各球団のスカウトをも唸らせました。

現在日本ハムファイターズで大活躍している大谷翔平選手の様に二刀流の選手になれば面白いかもしれません。

3年夏で迎えた甲子園では1人で5試合を投げ抜くタフさと、回を重ねる毎に増す球速と衰えないコントロールは他校の脅威でした。

私は、またあの球史に残る名試合である決勝戦の奇跡再来かと食い入るようにテレビを見ていたのを覚えています。

結果、ベスト4でしたが、新潟県野球の存在を他県にシッカリと示せたのではないでしょうか。

中畑清監督のカンピュータ炸裂!7位指名で横浜Denaベイスターズに入団

飯塚悟史

中畑清監督(当時)により横浜Denaベイスターズに入団した飯塚悟史選手は現在は2年目としてまだ2軍の試合しか経験していませんが、中畑清監督のカンピュータが正確なら、必ず飯塚悟史選手は1軍に昇格します。

このカンピュータは中畑清監督が現役時代の監督である、長嶋茂雄監督藤田元司監督が取った手法で、数値的なデータは参考程度に見て実際はその時の選手の表情や雰囲気など数値化出来ない要素を丁寧に酌み、最後は己の勘で決めるやり方です。

ちなみに、中畑元監督のカンピュータは大当たりして、横浜Denaベイスターズは初のクライマックスシリーズを戦えるまでに成長しましたので、間違いなく飯塚悟史選手は昇格します。

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外国人選手並み?飯塚悟史選手の投球

飯塚悟史

飯塚悟史選手の球種は王道的なストレート、スライダー、カーブ、フォークの組み合わせであるが、王道故に突き詰めていけばキレが増し三振の山が築けると思います。

また188cmの長身から投げ出される球はストレートでも上から落ちる様に見えて焦点を合わせずらいメリットもあります。

それだけではなく、飯塚悟史選手の真骨頂は縦に落ちるスライダーです。甲子園の時もそうでしたが、これが決まると下に投球が集まるので打者はタイミングを外されてしまいます。もし、打ってもゴロとなり打たせて取るスタイルになります。

来期は1軍スタメン発進へ

来期は3年目となりますので、狭くなった2軍を抜け早く1軍合流して欲しいです。

背番号30に負けないように精一杯頑張って下さい。

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